羽田より遠いけど成田が好き

航空関係の情報多めな20代のつぶやき

デルタ航空 成田ベースの思い出

今や全て羽田に集約されたデルタ航空

コロナウイルス感染症によって航空業界が打撃を受ける中、デルタ航空はひっそりと成田空港から羽田空港への運行にスイッチした。

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羽田の再国際化によって成田の国際線が羽田空港に移管を始め、多くの航空会社が成田空港を離れた。

デルタ航空アメリカン航空ユナイテッド航空のように日本の航空会社との提携がないことから羽田の発着枠を他の米系2社よりも多く得た。そして今回の羽田の発着枠の増加に伴い全ての国際線を成田から羽田に移管した。

 

 

デルタ航空は2008年にノースウエスト航空と合併、アジア・太平洋路線を得意としていたノースウエスト航空の路線を引き継いだ。ノースウエスト航空アメリカ全土から成田へそして成田からアジア各地へとフライトしており、日系航空会社にも負けないくらいの成田からのアジア路線を就航させていた。

 

記憶しているだけでも

・ソウル ・釜山 ・北京 ・上海 ・広州 ・香港 ・台北 ・高雄 ・マニラ

シンガポール  ・バンコク ・ホーチミン

その他にも国際線乗り継ぎ用に成田ー名古屋、成田ー関西なんていうフライトも飛ばしていたことがある。

 

こうしたフライトは昼過ぎにアメリカから到着した中大型機(B747やDC-10、A330)が夕方にアジア方面に飛び、翌朝に成田に戻り、夕方にはアメリカに戻るというフライトスケジュールを組んでおり成田は真っ赤なノースウエストの機体でいっぱいだった。

しかし大型機では過剰供給となるような路線にはA320、後にB757を成田にステイさせて成田からのアジア路線を運行し、成田スペシャルと呼ばれる中小型機を用意する力の入れようであった。

成田には北米各地から多くのパイロットと客室乗務員が集まることからノースウエスト航空ホテルまで運営していた。(ラディソンホテル成田)

しかしアジア路線の運行にはアメリカ各地から飛んできた客室乗務員だけでは限界があり、ノースウエスト航空では成田やアジア各地に客室乗務員のベースを持っていた。

 

IFSRと客室乗務員

ノースウエスト航空ではIFSRという客室乗務員の業務には携わらない機内通訳を乗務させており、ノースウエスト航空の運行するアメリカ本土路線(ハワイ含む)に2名程度乗務し、成田・名古屋・関西にそれぞれベースがあった。

制服も客室乗務員とは若干異なり、IFSRはジャケットのラペルが真っ赤でタスキをかけたようなデザインで、本国の客室乗務員はワンピーススタイルが多い中できっちりしたジャケット姿に真っ赤なラペルが機内で異様に目立っていた記憶がある。

 

こうしたIFSRは日本からのアメリカ本土便のみで、アジア路線とサイパン・グアムといったミクロネシア路線には客室乗務員として乗務し、成田に客室乗務員のベースがあった。客室乗務員ベースは成田のみならず就航地の全てと言ってもいいくらいで、成田、上海、台北、香港、バンコクシンガポールにベースがあったかと記憶している。(なぜここまで詳しいかというとその昔、米系航空会社で働きたいと思いエアラインやエアステージといった航空関連の雑誌をよく読んでいたから)

 

デルタ航空と合併後、ある一定期間まではIFSRも乗務していたようだが、元々デルタ航空は国外で客室乗務員を雇用しておらず、言語サービスについてもアメリカ国内で採用する客室乗務員のうち、外国語を話せる者に言語資格を与えて各国便に乗務させる方式をとっているのでIFSRは不要と判断したようだ。

 

デルタ航空ノースウエスト航空との合併を進めるにつれて成田をベースにアジア各地に飛ばしていた路線を徐々に撤退させる。

元々、成田を経由していた理由は航空機の性能によりアメリカ(特に東海岸)とアジア各地の直行便が飛ばせないことから成田を経由してアジア各国にフライトするという形式をとっていた。しかしアメリ東海岸から香港まで直行で飛ばせる現代においては成田を経由させる必要ない。

2000年代は中国の経済成長により中国需要が高まったことから中国からアメリカ本土に飛ばしても十分に採算が取れる状態であったこと。そしてデルタ航空の加盟するスカイチームの加盟航空会社が日本には存在していない。中国(中国東方航空)や韓国(大韓航空)への直行便の方が需要に見合う、そして乗り継ぎなどの接続を考えも連携が取れると判断したようだ。

デルタ航空側はアジア側のパートナーとして大韓航空を選んだようである。理由はいくつかあるが、中国東方航空よりも大韓航空の方が北米線への強さを持っていることや仁川空港のスカイチーム専用ターミナルといったハード面が考えられる。

 

最後は上海・台北・マニラ・シンガポールのみに

私はあまりアジアに行かなかった上に、首都圏に住んでいなかったことからデルタ航空がアジア路線を縮小して行っていることは知っていたもののどこまで減っているかは気にしていなかった。当時はデルタ航空よりもユナイテッド航空のアジア路線撤退が激しくソウル便を残すだけ。そのソウル便も撤退した。ユナイテッド航空の場合は提携航空会社のANAがあること、そして西海岸からシンガポールへの直行便を出せるようになったことが大きい。

 

私が気づいた時にはデルタ航空のアジア路線は上海・台北・マニラ・シンガポールのみ。台北便は2017年、上海2018年、2019年にはシンガポール便が撤退しマニラ線を残すのみだったのが今回の羽田移管に伴い撤退。(ソウルーマニラ路線となる)

デルタ航空ノースウエスト航空時代からなぜかマニラ便を重要視している。元々、デトロイトー名古屋便もデトロイトー名古屋ーマニラとして運行していたこともありフィリピンとアメリカの人的輸送の多くをデルタ航空が担っている様子。

 

この中で私は台北便を2往復、シンガポール便を1往復利用したことがある。

 

台北ベースだらけだった台北便

デルタ航空アジア路線は基本的に本国ベース2名(チーフパーサー1名)と成田ベース及び現地ベースで運行されていた。

台北便の場合、台北ベースがあったので本国ベース2名と成田ベース2名、残りが台北ベース。私は半年で2度この便に乗ったがどちらに乗った時も同じ台北ベースの客室乗務員の人を見かけたのでそんなに人数がいるわけでない様子。ちょうど隣に座ったアメリカに住むという中国系のおじいさんが「あなたたちはどこに飛ぶの?」と話していてその回答が「私たちは成田しか行きません。成田と台北を往復するだけです」と言っていたので乗務員たちは成田と台北の往復のみを行っていたよう。

 

この便、日本人の利用客が非常に少なくて確認できる限り日本人が数名という状況。成田ベースが日本語アナウンスを行うが、需要がないのか途中で「これより先日本語のアナウンスを控えさせていただきます」とアナウンスを入れるほどであった。

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台湾桃園空港の出発ターミナル前の標識。多分もう見れないだろうなと思って撮った写真。デルタ航空は中国語表記では「達美航空」と書く。成田便の撤退とともに台湾からデルタ航空は撤退・・・

台北から成田に行く朝の機内に入ると「早安!」と元気に挨拶してくれる客室乗務員の人がいて台湾のエバー航空にも何度か乗ったがは違った良さがあった。

 

成田ベースだらけだったシンガポール便

2019年、シンガポールに行く際にもデルタ航空に乗っている。

 

月刊エアラインなどでもシンガポールベースのクルーが紹介されていたことがあることからシンガポールベースも存在していたよう。しかしその後廃止されたようでシンガポール便は2名の本国ベースと成田ベースで運行されていた。(客室乗務員の人に聞いたので確か)確かに台北の場合は中国語といった面からも維持の必要があるがシンガポールは英語が公用語なのでそういった言語面での必要性がない。

そしてこうした成田からのアジア便に乗務する本国ベースは主に旧ノースウエスト航空が当てられているようで、台北便ではデトロイトミネアポリスシンガポールでは往復共にホノルルベースが担当していた。

 

特に帰りの便では本国ベース(ホノルル)も日本人あるいは日系人のようで全クルー日本語可状態。アナウンスも日本語も含めてパーサーが担当。これはノースウエスト航空時代のホノルル便にあった光景で、ホノルルベースには多くの日本人と日系人の客室乗務員が在籍している。そのためパーサーが日本語を話すことも多くIFSRが乗務していても日本語の通訳が不要だったりすることが多かった。

 

私の担当エリアは成田ベースの男性乗務員で、私が非常口に座っていたことから

「○○様、本日はご搭乗ありがとうございます。いつもご搭乗いただいているのでお分かりかとは思うのですが、非常時にお手伝いいただきたいのでこちらお読みいただけますでしょうか」

と丁寧に日本語で名前まで呼んで対応してくださった。その後もその方はドリンクサービスやミールサービスの際にも

「○○様、本日はXXとXXをご用意しておりますが、どちらにいたしましょうか」

と繰り返し名前を呼びながら日本語で対応してくれた。

私がデルタ航空のマイル会員(いわゆる上級会員)だった、そして非常口に座ったというのもあるが、名簿のようなものを持って1人1人確認してたことが印象的で、そのほかの乗客にも可能な限り名前を呼んでいた。

 

成田ベースさようなら・・・

成田から羽田への移管とともに成田ベースは終わった。もしコロナウイルスの影響がなければもう少し航空業界にこの話題の賑わいがあったのではないかと時々思い出す。特に2000年代ごろまではデルタ航空ノースウエスト航空)の成田での勢いは凄まじく、第1ターミナル北ウイングは真っ赤なノースウエスト航空の機体。その頃までに旅した人の多くが乗り、お世話になった航空会社。

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ノースウエスト航空アメリカから帰った際にその飛行機が5時間遅れ、21時に成田に到着したことがあった。私は当時名古屋近辺に住んでおり、成田から名古屋への乗り継ぎ便に乗る予定が乗り換えられず成田ステイ。

ノースウエスト航空が運営するラディソンホテルが用意され、ホテルに連れて行かれた私たちを待っていたのはチェックインの行列。お金を払っている人が優先されるので私たちのような特例宿泊者は後回し。お金を払って泊まっている人には支配人が出てきて「今日は飛行機が遅れたようでその方々が到着されていて騒がしくてすいません」と言っていたことを今でも覚えている。まあ日本人はほぼ居なかったので誰も聞いていないと思ったのか・・・

その時、乗ってきた便の客室乗務員の人が食事に降りてきて「夕食は食べれた?」と心配してくれたことを今でも覚えている。

「ああここに泊まっていいんだ」

って安心させてくれた。夕食券も用意されれいたが疲れていたことや、もう直ぐ閉まりますけどみたいな対応だったので結局食べずに寝てしまった。テレビをつけた途端、北京オリンピックの会場が映っていたことを今でも覚えている。

翌朝、朝食を食べに行くと一緒の便だった人が全員揃っていた。ただ私は支配人の話などからなんか招かざる客のように感じてしまい満足に食事が食べれなかったと記憶している。当時は相当細々しい神経の持ち主だった様子。

 

デルタ航空、いやノースウエスト航空の成田ベースにはいろいろな思い出がある。コロナウイルスの影響で知らぬ間に幕を閉じた成田ベース。この成田閉鎖に伴ってデルタ航空が日本から韓国(ソウル)にシフトしたという意見があるがそれは早合点であろう。というのも羽田に移管たところで北米便については成田時代と大きく変化していない。これの意味するところは未だデルタ航空は日本市場への需要があると判断している現れであると見られる。成田撤退はそもそも日本市場からのシフトではなく日韓を除いたアジア市場に対する合理的なシフトである。自社便や自社施設を日本で保つよりもパートナー航空会社がいるソウルへシフトした方が合理的であると判断したに過ぎず、デルタ航空にとって未だ日本市場は重要なターゲットであると見る方が適切であろう。

それにしてもやはり少し残念な気持ちの残る撤退であった。